アントニオ猪木 vs タイガー・ジェット・シン
日本プロレスから追放され、
新日本プロレスを、旗揚げしたアントニオ猪木。
数々の妨害をくぐり抜けて、新日本プロレスの地位を、
築いた猪木にとって、最大のライバルは、
”インドの虎” タイガー・ジェット・シンだった。
このライバル対決は、様々な因縁を生み、
そのドラマチックな展開が、各地の会場で観客動員数を上げ、
お茶の間を熱狂させ、高視聴率を上げた。
それまで日本では無名の存在だったシンだが、
正統派レスラーから、悪役に転身したことで、
一挙に名を上げ、ターバン姿でサーベルを咥える真の姿は、
今も多くの人の心に残っている。
猪木とシンの因縁で最も有名なのは、
1973年11月5日、試合会場ではなく、新宿伊勢丹の前で、
猪木と当時妻だった倍賞美津子を、襲撃したことである。
白昼堂々、衆人環視の前で、プロレスラーが、
プライベート中の相手を襲うことなど、
タブーを通り越して、ありえないことだった。
猪木が流血する中、シンと仲間はタクシーで逃走。
宿泊先のホテルには警官がたむろし、
シンは一歩も出られないという事態になった。
1974年6月に行われた試合では、 エキサイトした猪木が、
シンの右腕を骨折させる報復を行うなど、
2人の対決は、新日本プロレスのドル箱カードとなっていった。
この抗争を通じて、猪木は今に至る、
”燃える闘魂” としての、カラーを確立させていった。
それは、シンというライバル抜きには、成立しなかったに違いない。
どこまでが演出なのか分からない、ガチンコスタイルこそが、
プロレスを国民的人気に高めていった、要因だろう。
こうした盛り上がりを、今一度期待したいものだ。